送別会はまさかの方向へ!?

高校卒業後、大学の入学金と授業料を稼ぐために1年間のフリーターを決めたわけですが、その中の送別会での一コマで、

“まわりは自分が思っている以上に見ている”

そして

“独りよがりではやっていけない”

という事を受け入れた事件です。事件性はないですね、思い出です。

確かこれは3月くらい。このシーズンは大学生がいざ春から就職の時期なので、ここでバイトを切り上げます。んじゃ、卒業する人まとめて送別会しようやってことになるわけです。

大体の送別会はChagamiにとってどうってこと無い、ただの酒の席なのですが、今回は違いました。普段からよく一緒に遊んでくれていた諸先輩方の卒業です。

僕は週6とかで出勤してたので、なんなら先輩方がいつ出勤してもだいたいChagamiはいるわけです。先輩方からの認知は抜群です。だからというわけでも無いかもですが、よく誘ってくれてました。

当時、3つも4つも年上だとそれだけっでかっこよく感じてて、そんな人達と一緒に遊んでいられることにとても満足感を覚えてました。ただただ楽しくて、でも年上の先輩は友達という感覚はなく、ちょっとした雲の上の人。

この感覚はこの後の展開の大事な要素になるのでできれば覚えといてください。

さて、時を戻して送別会。一次会は閉店後のバイト先のお座敷で。必然的に開始は深夜1時とかになります。今思うと恐ろしいですね。それでも沢山の人があつまりました。

こういう送別会で恒例のように発生するクエストがあります。それは

“送り出す人と送り出される人のコメントクエスト”

「いやコメントって言われてもこの人そんな知らねーよ、、」と困った経験の有る方もいらっしゃるんじゃないでしょうか。付き合いで出席した人には地獄のクエストです。

さてこのクエスト、巡り巡って大好きな先輩方のターンへ。ちょっとワクワクが、すぐにそんな気持ちは吹っ飛びます。

「Chagamiはねえ、クソガキ」「クソガキだね、いつもいるけどクソガキ」

こんなんばっか。場の雰囲気で、被せる笑いみたいなのもあるかもしれませんが、これはショック。付き合いなければクソガキかどうかもわからないので、そこの部分は多少ポジティブに捉えられても、それ以上の衝撃。からの落ち込みマン。

酒がまずい。早く終わってくれ。そう思ってた。

深夜3時も回ると宴もたけなわ、お開きのお時間。が、普段遊び回っている人たちはここからが本番。それもそのはず、僕らは深夜に仕事終えて、そこから遊びに行っていたのだから当然といえば当然。明るくなってようやく帰宅。ときにはそのままランチで出勤。

そんな時間軸の若者は当たり前のように二次会へ向かう。よし、帰ろう。

「どこいくんだよ?早く来いよ!」

「いや〜クソガキは帰りますよ」

「は?なにふてくされてんだ、ほら、いくぞ」

半分連行状態で次の店へ。気も知れたいつものメンバーで二次会、、、のはずだがなんか違う。約一名、ずっとふてくされている。

「なんだどーした?超暗いじゃん」

「いや、さっきの一次会のあの時の、、、」

「え?気にしてたの?んじゃやり直すか!」

ということで仕切り直し。やり直しって、すごいですね。上書きできるもんなんでしょうか。ということで、矛先が何故かChagamiに。

するとどうだろ。予想もしてなかった言葉の連続でした。

「お前はさ、あんま本心言わないんだよ。だからイマイチ絡みづらいときがあるんだよね。でも仕事見てりゃちゃんとやるし、あんときなんかさ〜うんたらかんたら〜」

「フランクに接すれば仲良しって思ってたらそれはちょっと違ってて、別に敬語しっかり使えとかそういうんでもなく、お前の場合人をナメてるように映っちゃうんだよ。普段よく見てる俺らだからそこは飲み込めるけど、他じゃそりゃお前ぶっ飛ばされるよ」

「何気にしてんだ、大丈夫だよ、お前がただのクソガキだったらみんな相手にしてねーよ」

基本的には叱咤です。普通に考えたらやり直しでさらにエグラれるこに状況は地獄ですが、それ以上にまわりの人が瞳の端っこでもこんなに見続けてくれていたことや、性格をわかった上で付き合ってくれていたことに心が揺れた。ダメ出しだって見てなきゃできない。

それと同時にポジティブな評価も受けたわけで。こんなに人にズカズカなにかを言われたのは初めてだったわけで。

不覚にも涙が浮かんだ。

>年上の先輩は友達という感覚はなく、ちょっとした雲の上の人。

最初に言ったこの言葉。本気で付き合ってなかったのは自分だった。

これはもう、一生忘れないと思う出来事。初めてまともに人格を評価され、また叱咤され、とんでもなく嬉しかった。評価されるに値する人間にならなくては行けないなと、少し考えるようになったきっかけである。

思っているよりまわりは見ているから、影でする無駄な努力なんて無いなと思うし、反面、常に見られている感覚を持たないとあっという間に瓦解すると理解した瞬間でもある。

嬉しいことに、この場に居合せた仲間の数人は、大人になってからも酒を飲む機会があったりする。本当にありがたいことです。